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もう少し、ルッフォのこと。-- キャリア初期~中期について [オペラの話題]

※7/4 ルッフォの自伝『La mia parabola』に基づき、情報の誤りを訂正、追記しました。

tittaruffo3.jpg 西南戦争勃発の年、明治10年生まれ。
 4代目古今亭志ん生、第22代横綱・太刀山峰右衛門らとタメのティッタ・ルッフォです。

 この人のことをもっとよく知りたいと思い、暇がある時にネットでいろいろ調べてまわっています。
 有名な人ですので、日本語のサイトでも名前はちょくちょくお見かけします。が、具体的なバイオグラフィーやエピソードについてとなると、情報がある程度まとまっているのはWikipediaくらいでしょうか。

 ありがたいことにルッフォはキャリアの後半は米国でも活躍していましたので、英語でも少しは情報を得られるのですが、やはり通りいっぺんのことしか出ていません。

 そんな中、1912年にフィラデルフィアのNY(*1)メトロポリタン歌劇場にデビューした時のルッフォの新聞評を見つけました(⇒こちら)。おそらくネットに出回っている「(英語の)ルッフォ評」のオリジナルはこれでしょう。

 おお~!! と感動すると同時に、ちょっと怖いなと思いました。
 このリチャード・オルドリッチという人一人の評価が、後の時代の人々のルッフォのイメージを決定づけているように感じたからです。少なくとも、ネット上ではそんな感じ。

 オルドリッチのルッフォ評は、(最近初めてルッフォを聴いたド素人の私が言うのもおこがましいですが)まぁ妥当だったんじゃないのかなと思うのですが、こうしてネット上で言葉の断片だけが切り貼りされて世界中に拡散していくうちに、ルッフォの芸術の貴重な記録が、本質を失った虚ろな「情報」にすりかわっていきやしないかと。そして私自身もその「情報化」の共犯者になっていやしないかと。

 ネットの恩恵をたっぷり受けているオペラ愛好家の私ですが、ネットでの情報収集と発信にふと疑問を抱いてしまいました。

 とはいえ、素人の情報発信だからこそ意義がある、という側面もあると思うのです。ルッフォの時代は専門家による発信と素人の「口コミ」は全く別次元のものでしたが、ネットでは両者が同次元に存在します。このごった煮は危険ですが、一方で「たった一人の人間の視点で、ある物事の評価が決定される」という現象に待ったをかけることができる。

 私がある記録を集めて再発信するという行為は、記録そのものの質を落とすことになるのかもしれませんが、代わりにド素人ゆえの純粋で生々しい「感想」というものを新たに生み出しているわけです。
 どんなにくだらなかろうが、この「感想」というものが私という人間の生きた証であるのでして(笑)、形骸化したルッフォ評に一瞬でも命を吹き込むことができるのだとすれば…。

 それこそおこがましいかもしれませんが、情報の横流しに罪悪感を抱くのであれば、その償いとしてこれまで以上に誠実に感想を(そしてネタを)書いていこうと決心した次第。

 ところで。
 ルッフォの生誕の地、ピサのヴェルディ劇場には、ティッタ・ルッフォと名付けられた小ホールがあるそうです。バロック音楽のコンサートをするような所らしいのですが、今年(2012年)の1月13日、その小ホールでルッフォについての本 "Pisanità di Titta Ruffo. Il più grande baritono di tutti i tempi" の出版披露会が行われたというニュース記事を目にしました。⇒こちら

 Google翻訳と「心の目」で読み解いた限りでは、「ピサ生まれの最も偉大な、かつ不朽のバリトン歌手の生い立ちから成功までを、当時の新聞記事や批評などの記録を用いて再認識しましょう」という、なんともスバラシイ内容のようです。

 それそれ! そういうことを知りたいんですよ。
 点眼一滴=1時間イタリア語が読める、みたいな目薬、ありませんかね?


*    *    *


 さんざん言い訳をして気も晴れましたので、前回の記事ではすっ飛ばした、ルッフォのキャリア初期~中期について、以下に簡単にまとめておきます。参照ページは⇒こちら

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サー・トーマス、フィッシャー=ディスカウの思い出を語る [オペラの話題]

※5/25 アレンとフィッシャー=ディスカウ、イアン・ボストリッジの3ショット写真を追加しました。
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Alabera.jpg 5/18に亡くなったディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウの追悼番組がBBC Radio4 の“Last Word” で放送されました。

 その週に亡くなった有名人の思い出語りをするというもので、30分弱の番組内で毎回3~4人が取り上げられます。
 フィッシャー=ディスカウの名は今週のトップなのですが、サー・トーマス・アレンがスタジオに招かれ、ホストのマシュー・バニスターにフィッシャー=ディスカウについての思い出を語っています。

 clevelanderさんに教えていただきました。
 いつも本当にありがとうございます。

 BBCのIPlayerで聴けますので、ご興味のある方は是非どうぞ。⇒(こちら

 また、右上の画像をクリックすると、フィッシャー=ディスカウとリーザ・デラ・カーザの《アラベラ》が観られます。アレンの思い出話に登場する作品です。

 以下、アレンの語った内容を、「心の耳」を駆使してざっくりと意訳してみました。

 初めて聴いたフィッシャー=ディスカウのレコードは学生時代に買ったブラームスのアルバム。オペラに関する様々な指導を受けていた頃だった。その一つがドイツ・リートで、その時にフィッシャー=ディスカウのことも教えられた。その後の自分の歌唱を確立していく上で、とても影響を受けた。

 彼の最大の魅力は、汚れのない声、歌唱にあると思う。とても美しく自然だ。彼の録音はどれを聴いてもまがうことのない正確さがある。エレガントな声のトーンが特に発揮されているのは、おそらくシューベルトなんじゃないかと思う。もっと彼らしいと思うのは、ヴォルフの歌曲だ。

 64年か65年に、コヴェント・ガーデン(ROH)で《アラベラ》を観た。フィッシャー=ディスカウがマンドリカ、リーザ・デラ・カーザがアラベラ、指揮はショルティだった。劇場の最も天井に近い席から観て、(マンドリカは)なんて難しい役なんだろう、そしてフィッシャー=ディスカウはなんて易々とそれを歌ってのけるんだろうと、とても心を打たれた。

 後年、私がミュンヘンで歌い始めた時、劇場のボックスオフィスに、まるで『風と共に去りぬ』のクラーク・ゲーブルとヴィヴィアン・リーのような写真が掲げてあって、それがフィッシャー=ディスカウ(のマンドリカ)とデラ・カーザ(のアラベラ)だった。美しい二人の舞台は素晴らしかった。1幕が終わったら観客は拍手喝采。あの瞬間はまさに魔法がかかっていた。胸が高鳴る公演だった。

 フィッシャー=ディスカウと初めて会ったのは、ロイヤル・アルバート・ホールでの《戦争レクイエム》のコンサートで、初日のリハーサルが終わった朝のことだった。彼と会ったのは全くの偶然で、たまたま私はホールの中を歩いていたんだが、誰かの足音がこちらに近づいてくるのが聞こえてきた。あのホールは円形なので、いきなりフィッシャー=ディスカウと出くわすという形になった。まるで小学生みたいにその場に立ちすくんでしまった。

 それから数年後に、ザルツブルクでまたフィッシャー=ディスカウと再会することになった。彼の75才の祝賀会だった。彼は自分の業績についてとても謙虚な態度で語っていたが、その業績とは実は計り知れないものだったんだ。彼は本当に計り知れない、歴史に残る偉大な人物だ」


 アレンが感激したというROHの《アラベラ》は、65年1月の公演のことのようです。
 ROHのデータベースは⇒こちら

 ちなみに、1988年のバイエルン国立歌劇場来日公演で《アラベラ》が日本で初上演されましたが、この時のマンドリカ役がトーマス・アレンでした。
 23年前のフィッシャー=ディスカウの歌唱に感動したことを思い出した、なんて瞬間もあったのではないかと思います。

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No.76~80 テジエ②, トゥマニャン②, エンドレーズ, コー, ルイヨン ["闘牛士の歌" 聴き比べ]

聴き比べ企画 Chanson du Toréador -- 100人の「闘牛士の歌」 もくじはこちら

新たなポケモン(贔屓歌手)を見つけたからといって、この企画は止まりません。No.100までは・・・
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No.76 リュドヴィク・テジエ(Ludovic Tezier)②/フランス/1968 -
原調/フランス語/2007年コンサート/
このテンポの遅さは好みではない。昨今のトレアドールは重量感重視なのだろうか。とはいえ、コンサートだからって変なことをやらかさないテジエの歌唱には好感が持てる。そして低音のビブラートはちょっと魅力的。


No.77 バルセク・トゥマニャン ②(Barseg Tumanyan) アルメニア /1958 -
原調/フランス語/録音年不詳 ⇒YouTube
①ではちょっと酷評したけど、こちらのトレアドールはガチで素敵。こんなに柔らかいレガートで歌える人はそうはいない。覇気と色気が両立している。バスだけど、理想的なエスカミーリョです。
こういうのを聴くと、他の純正バスの役もこの人で聴いてみたいと思いますね。
ロシア赤軍合唱団との共演。


endrezeport.jpgNo.78 アーサー・エンドレーズ (Arthur Endreze)アメリカ/1893 - 1975 ⇒YouTube
原調/フランス語/1930年の録音/
米国人なのになぜかフランスで活躍したそうだが、これを聴いたらわかる気がした。
声がオッサン臭くないのだ。二枚目系、優男系な歌唱なのだ。ユルっとしたビブラートは「水もしたたるイイ男」的な瑞々しさを連想させる。当時のフランスってそういうバリトンが多いでショ・・
で、他のフランス・バリトンと同じく、強い男って感じではない。《タイス》のアタナエルならいいんじゃないかな?(でもそれはブランの専売特許なんだけど)。


No.79 センヒョン・コー (Seng-Hyoun Ko)韓国/
原調/フランス語/2011年オランジュ/
来シーズンの新国トスカでスカルピアを歌う人だから聴いてみた。輪郭のぼやけた腹声であまり好きではない。音程もどっかへ行っちゃってるし。ここだけ聴くと、トスカ行くのやめようかなって思ってしまうのだが、この大声は捨てがたいし、意外とオモシロいかもしれないと思ってみたり。まぁ百聞は一聴にしかずってことで、生で聴ける人は生で判断するのがよろしかろう。生で聴けない人ばかり好きになっちゃう私にとって、これ以上の贅沢はない。


No.80 フィリップ・ルイヨン (Philippe Rouillon)フランス?/
原調/フランス語/1991年ライブ/
こういう発声も苦手なタイプ。強力な鳥もちを口に詰めて歌っているみたいで、聴いているだけで疲れてしまう。
「すごい大変なんでしょうね?」と思うんですが、歌っている本人はこれが自然な歌い方だったりして・・

ライオンの歌声(La Voce del Leone)-- ティッタ・ルッフォのハムレット 「乾杯の歌」 [オペラの話題]

※7/4 ルッフォの自伝『La mia Parabola』に基づき、情報の誤りについて加筆訂正しました。
※5/15 レパートリーとカルーソーとの逸話、引退後の人生について追記しました。

tittaruffoport.jpg 100人の「闘牛士の歌」聴き比べ企画、その74人目に出会ったバリトンティッタ・ルッフォ(※1)(本名:ルッフォ・カフィエロ・ティッタ)でした。

 1877年、イタリアのピサの生まれ。
 蓄音機の時代ですよ、蓄音機!
 なんせエジソンが蓄音機(グラモフォン)の前身のフォノグラフを発明したのが1877年なんですから。

 エルネスト・ブランバスティアニーニを「ヴィンテージ」とするならば、ルッフォは正真正銘の「アンティーク」です。

 聴き比べを始めた時は「新たなご贔屓に巡り会えるかもしれない」なんて軽い気持ちで言っていましたけど、そして本当に「惚れた」と言ってよいほどの声に出会うことができましたが、こんなに大昔の人のつもりは…orz

 初聴きの「闘牛士の歌」も音質は悪いものでした。伴奏はドサ回りのサーカスみたいだし。ルッフォの歌いまわしも古臭くて、この歌の歌い手としては私の評価はそう高くはありません。

 けれども、「なんじゃこりゃ。変な闘牛士!」と思いながらも、指先がふっと肌にふれるかのようにかすかに心に響いてきたもの。それが、圧縮された音質を突き抜けるかのような大声量であり、バリトンらしい雄々しい声音であり、滑らかなビブラートであり、天井知らずにするすると伸びてゆく高音域であったのです。

 振り返ってみれば、ピーター・グロソップの声に耳がピクッとなった時も、同じような感覚を抱いていたように思います。どちらも大声が売りな歌手だし、タイプは似ているんじゃないでしょうか。

 ただ、ルッフォのほうがテクニックも声の豊かさも数段上ですね。

 タイミングの良いことに、中古屋さんでルッフォのアリア集を見つけ、プレイヤーにかじり付くようにして聴いた今では、グロソップの声に惹かれたのはルッフォの声に出会うまでの一つの道標にすぎなかったのではと思うほど。
(まぁルッフォで気分が盛り上がっているので、今はそんなふうに感じるんでしょう。グロ様、ゴメンネ)

 “ライオンの歌声(La Voce del Leone)” と呼ばれたのだそうです。

 それはおそらく、野生的で豪快なルッフォの声を賞賛すると同時に、揶揄する意味も少なからず込められていたのかもしれません。エンリコ・カルーソーでさえも、その大声がゆえに(?)ルッフォとの共演をしぶった…との逸話も目にしました。

 ルッフォが頭角を現す以前は、優美で技巧的な歌唱が主流だったとのこと。ドラマティックで力強いルッフォの歌唱は当時としては斬新だったのでしょう。彼の発声はほぼ自己流なのだそうです。
「喚き散らしているだけ」と言うアンチな批評家もいたようですが、後に続くヴィンテージ歌手たちの傾向をみると、ルッフォの存在がヴェルディ・バリトンの流れを変えたのかな?と思えなくもありません。
 レナード・ウォーレンロバート・メリルはルッフォの信奉者だったとか。

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名作アニメ “Magical Maestro”/カルロス・フリオ・ラミレスの「私は町の何でも屋」 [オペラの話題]

 イタオペ派とはいえジョアッキーノ・ロッシーニの作品はあんまり…というか、ほとんど聴いていません。贔屓歌手の音源があればしぶしぶ聴くくらいです。

 なぜロッシーニが苦手かというと、ホラ、私はでっかい声でぐわぁ~!! と押してくるような歌唱を好みますから、技巧的でヒラヒラした歌は聴くのがなんだか恥ジュカチイのダ…(*´ω`*)

《セビリアの理髪師》は、トーマス・アレンの録音のおかげでけっこう好きになりましたが、このオペラの看板とも言える理髪師フィガロの有名なカヴァティーナ「私は町の何でも屋」は、いまだにこっぱずかしくて正気では聴けません。

 特に、惚れた歌手だったりすると、ねぇ。
「ああああこんなチャラチャラした歌をっ!! やめてえええええ!!」
 と身悶えしちゃう(笑)
 ロッシーニファンの皆さん、ごめんなさいね。

magicalmaestro.jpg それはさておき。「私は町の何でも屋」は、オペラに興味が無い人でも、一度は耳にしたことがあるでしょうってくらい有名なんじゃないかと思います。

 “ふぃ~~がろ、ふぃ~がろ、ふぃがろふぃがろふぃがろふぃがろふぃがろ…” と聞けば「あ~ァ、なんか知ってるかも」となるのでは?
 
 この歌が広く知られている要因は、昔TVでやっていたこのアニメにあるんじゃないかと。
 Metro-Goldwyn-Mayer (MGM) の名作短編、“Magical Maestro (日本語タイトル:オペラ騒動/へんてこなオペラ)” です。(⇒こちら
 人気アニメ『トムとジェリー』の「真ん中の作品」として、子どもの頃に見た人も多いのではないかと思います。

 画像をクリックするとYouTubeへ飛びます。懐かしい映像をご覧ください。

 私はもー、これが好きで好きで…!! 『トムとジェリー』が再放送されるたびに、「真ん中の時間」にこれをやってくれるのを楽しみにしていました。高校生の時は見逃したくないばかりに毎日録画予約をしていたくらいです。

 フィルムに付着した糸くずを引っこ抜くという斬新なギャグや、お約束的なネタも満載ですが、それ以上にスゴイなぁと思うのは、歌っているスパイクの口の動きがちゃんと歌詞と合っていること。「ラララ、ラララ」の舌の動きなんて職人芸だと思います。

 アニメーターはテックス・アヴェリーという人で、ハリウッド時代のカトゥーン黄金期を築いたアニメ監督の一人なのだそうです。ウォルト・ディズニーの『白雪姫』のように実写フィルムからアニメのセルに描き写す「ウルトラ・リアリズム」から脱却し、カトゥーン特有の「マンガ物理学」を採用して抱腹絶倒なアニメーション作品の数々を生み出したとのことです。(参照

 残念ながら、作られた時代が時代ですので、差別的な表現もいくつかあります。近年放送されるヴァージョンでは、スパイクが中国人に変身するシーンがカットされているそうです(ラストでマジシャン自身が変身させられるシーンも同様)。
 また、怒った観客が黒インクをスパイクの顔に浴びせるシーン(当時の有名なアフリカ系アメリカ人の芸人を連想させるギャグだったようです)も、直後の金床を落とすシーンをカットして差別的に見せない工夫をしているようです。(参照

carlosramirezport.jpg これが我が人生における「町の何でも屋」の初聴き!

 ですので、スパイク(偉大なバリトン歌手 "POOCHINI")のフィガロが私のスタンダードになっています(笑)
 アニメとはいえ、けっこう上手いですよね。
 ギャグと音楽がセットになっていますので、これは恥ジュカチくならないので大丈夫!(この原体験のせいで、オペラをネタとして聴くようになってしまったのだろうか…)

 歌を担当したのはカルロス・フリオ・ラミレス(1914 - 1986)。

 コロンビア出身のバリトンで、ミュージカル映画『碇を上げて』にも出演しています。この映画でもセビリヤの理髪師を歌っているとのことですが、そんなシーンあったかな・・・。20年以上も前にTVで観たきりなので忘れました!

 YouTubeにはラミレスの歌う「私は町の何でも屋」のフルヴァージョンが上がっています。(⇒こちら

 ラミレスがハリウッドでの仕事にどれくらい携わっていたのかはわかりませんが、明るくクセの無い歌い方が、アニメの動きを当てるのに向いているということで採用されたのかもしれません。

 クセが無い…ということは、視点を変えると「個性に乏しい」とも言えますが。子どもが聴く「初のフィガロ」となる可能性が高いので、こういう歌い手を選んだのは正解だったのではと思います。歌唱がアニメに勝ってしまってもいけませんしね。

 ここ一週間ほど軽~く一人で《セビリアの理髪師》祭りが続いていまして(ツィマーマンはその合間に聴きました)、手持ちのエレーデ盤とマリナー盤と、お仲間からいただいたネットのライブ音源をとっかえひっかえ楽しんでいます。
 そろそろ別のキャストによる録音を増やしたいので、いろんな歌手によるフィガロをYouTubeで聴き比べているうちに、この名作アニメのことを思い出しました。

No.71~75 フィッシャー=ディスカウ, レイミー, ヴィノグラードフ②, ルッフォ, ドス ["闘牛士の歌" 聴き比べ]

聴き比べ企画 Chanson du Toréador -- 100人の「闘牛士の歌」 もくじはこちら

ついに “アンティーク歌手” の声に惚れた・・・゚・(つД`)・゚・ ヴェルディ・バリトンは永久に不滅です。
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No.71 ディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウ (Dietrich Fischer-Dieskau) ドイツ/1925 - 2012
原調/フランス語/録音年不明/
2012,5,18 逝去。86才でした。ご冥福をお祈りします。
彼に対する敬愛の気持ちを込めて、おもしろおかしく感想を述べていましたが、しばらくは自重させていただきます。
更に大物が登場してしまった・・。怖いけど正直に感想書こうw プライよりもFDにこそドイツ語で歌って欲しかったな、ネタ的に。しかしフラ語で歌おうとFDはFDだ。盛大なケイ◯ン歌唱を聴けて満足。これからも愛すべきネタ伯爵でいてください(賞賛してますっ!)。


No.72 サミュエル・レイミー(Samuel Ramey) アメリカ/1942 -
原調/フランス語/87年ライブ/
正確。シンプル。簡素。実直。確実。硬派。丁寧。安定。冷静。不動。沈着。重厚。バランス。重心。貫禄。風格。堂々。骨太。立派。堅固。抑制。頑丈。格調。楽譜。(一目置いてます!)


Vinogradov_2.jpgNo.73 アレクサンドル・ヴィノグラードフ ②(Alexander Vinogradov)ロシア/1976 -
原調/フランス語/2009年コンサート/
①の頃('07年ライブ No.24)と変わった!声に“色彩”が感じられる。
プレイボーイっぽさもあって、よりエスカミーリョらしくなった。
アリア集で歌うなら何でもアリだが、演じるなら軽薄さも必要なこの役。ヴィノグラードフのアプローチも正しい。


tittaruffoport.jpgNo.74 ティッタ・ルッフォ(Titta Ruffo)イタリア/1877-1953
原調/イタリア語/1908年の録音 ⇒YouTube
この人の当たり役はイァーゴなのだそうだ。(※1)当時の録音技術による、色あせた薄っぺらい音質にもかかわらず、さもありなんと思わせる素晴らしい声。実になめらかな響き。一気に感傷的な気分になった。
時代というその重いカーテンの向こう側、ルッフォが生きて舞台に立っていたまさにその時。彼の肉声は劇場でどんなふうに聞こえたのだろうか、と。
それにしても、ジーノ・ベキといいメリルといい、このルッフォもそうなんだけど、なぜ「へへ〜い!」なんて掛け声を入れるんだろ? 闘牛士なら「オーレ!」じゃないのか? それとも、そう言ってるのか?


No.75 マーク・S・ドス(Mark S Doss)アメリカ/1957 -
原調/フランス語/2009年コンサート/
YouTubeの映像を見ると余興で歌ったという感じ。輪郭のはっきりした艶のあるバスバリトン。低音も深く、真面目な舞台でなら聞き応えがありそう。アフリカン・アメリカ人のバス系は美声が多い。実演でお目にかかってみたいものです。

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(※1)2012,5,23訂正。
ルッフォの当たり役はトマの《ハムレット》題名役です。詳しくはこちらの記事へ。

《兵士たち》シュトゥットガルト国立歌劇場 -- 完聴記念のメモ [オペラ録音・映像鑑賞記]

《兵士たち》の1文あらすじ。
裕福な家庭の娘マリーが兵士たちに弄ばれてやがて娼婦となり、立ち直ろうとするも一度堕落した生き方を変えることはできず、最後には物乞いへと成り果てる話。

diesoldaten.jpg オドロオドロピーヒャララ~!

 このオペラの音楽を、↑のように表現した方がいらっしゃいまして。
「何じゃそりゃ!? オモシロそうだ!!」
と、好奇心から鑑賞してしまいました。
(素晴らしいセンス。まさにそういう音楽です!)

 シュトゥットガルト国立歌劇場、1989年の収録です。

 指揮はベルンハルト・コンタルスキー。いやホント、どうやって指揮するんでしょうね、こういう音楽。

 現代音楽は嫌いではありませんが、さりとて積極的に手を出すような愛好家ではありません。基本、ズンチャッチャな体内リズムで生きているような人間ですし。

 興味を持った今でないと、おそらく一生聴かんで終わる作品。翌日がたまたま休みだったので、音楽で具合が悪くなってもいいやと覚悟し、全曲制覇に挑戦しました。(⇒YouTubeに全曲上がっています)

 最初の20分くらいはしんどかったんですが、ストーリーが進むにつれてだいぶ耳が慣れてきまして、意外と「楽しむ」ことができました。

 いや、Rシュトラウスとかを楽しむような感覚とは全く違いますけど。全然理解不能ですけど。意外と「心地良かった」…じゃないな、何と言うか、「イイ感じで理性が吹っ飛んだ」とでも表現しておきましょうか。

 舞台の映像で鑑賞したのがかなりの助けになったと思います。私のような初心者が、いきなりCDでは辛かったでしょうね。作曲者は何か意図があってこういう音を作っているんでしょうけど、聴いている側はそんなもんわかりませんから。ストーリーと演出が騒音のような音楽に「意味」を与えてくれる。

 ストーリーは、当時としては衝撃的だったのかもしれません。最初から最後までオドロオドロしい怪音の嵐で、いわゆる「男性」ではなく「兵士」たちの獣的で非人道的な欲望であるとか、性的魅力で自らの価値をはかる女の愚かさであるとか、そういうものを表しているのかなと思いますが、今の時代にそういうテーマはちょっと古臭く感じます。

 しかし、もう一度まっとうな生き方に戻ろうとしても「もう遅い。取り返しがつかない」という事実を突きつけられる。その身を引き裂かれるような後悔と恐怖、絶望を、聴く側の感情に暴力的に浴びせるのが目的であれば、これ以上の表現は無いのではないかなぁと思いました。

 深夜から早朝にかけての鑑賞でしたので、何度か落ちかけましたが、唖然として目が覚めたのは、マリーを娼婦の境遇から助けようとする伯爵夫人とマリー、姉シャルロッテの三重唱…というか、三重絶叫。すごすぎて開いた口が塞がらなかった。

 墜ちるところまで墜ちたマリーが床を這いずりまわり、かつての父(娘のマリーとは気付かない)に食べ物を乞うまでのラストシーンも圧巻。(⇒YouTube
 2時間近くも頑張って聴き、観たことが大いに報われる瞬間です。

 2008年には《軍人たち》という訳で、新国立劇場で上演されましたが、当時は観ようなんて全く思いませんでした。もちろん観てません。
 まんがいち、再演されることがあるとしたら、恐いもの聴きたさで行ってみようかなと思いますが…。

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Die Soldaten/兵士たち
ベルント・アロイス・ツィマーマン作曲

Wesener: Mark Munkittrick
Marie: Nancy Shade
Charlotte: Milagro Vargas
Wesener's old Mother: Grace Hoffman
Stolzius: Michael Ebbecke
Stolzius' Mother: Elsie Maurer
Obrist: Alois Treml
Desportes: William Cochran

The Stuttgart State Opera Chorus
Staatsorchester Stuttgart
Direttore: Bernhard Kontarsky.


《カルメル会修道女の対話》1958年デルヴォー盤 -- 作品の概要と感想 [オペラ録音・映像鑑賞記]

《カルメル会修道女の対話》の1文あらすじ。

フランス革命下の恐怖政治の時代、生来の弱さに打ち勝つために戒律の厳しいカルメル会修道女となった貴族の娘ブランシュが、一度は殉教を恐れて修道院を逃げ出すものの、真の宗教心に目覚めて他の修道女たちとともに断頭台の露と消える、史実をもとにした戯曲のオペラ化。

lesdialoguesdescarmelites1.jpg 美しく、哀しく、そして吐き気がするくらい気味の悪い、怖いオペラにとり憑つかれてしまいました。

 今年1月22日に亡くなったリタ・ゴールの追悼記事(⇒こちら)の際、タイトルしか知らないこの作品の録音を二つ残していることを知り、「ぜひ聴いてみたい」なんて軽い気持ちで書いたものです。

 積極的に探すつもりはなかったのですが、たまたま寄ったCD屋さんにあったので。ゴールの声聴きたさに軽い気持ちで買ってきて、晩ごはんのBGMとしてプレイヤーに突っ込んだわけだ。

 …無知っておそろしい。良い子はマネをしないでください。恐怖で胃の消化機能が止まりました。

 対話劇だから、どうせフランス語なんてわからないし(っていうか辛気臭い宗教談義に延々付き合うのは御免だから意味がわからなくてラッキー)、プーランクのモダンな音を楽しめればいいやと思っていたんですが。

 プーランクっていったら、アレンのリサイタルの予習で聴いた歌曲くらいしか知りませんから。お洒落で小気味が良くて、ちょっぴり享楽的な、軽い音楽をつくる人…というイメージがありました。

 まさかこんなキモチワルイ作品を書いていたとは…。

 まるで聴き手の心の皮膚をめくりとって、露になった赤い肉に、死神の息吹を吹きかけるかのよう。

 ひりひりと染みる恐怖です。

 修道女たちを追い詰める世情や、粛々と死を選ぶ盲目的な(あえてそう言います)信仰心も怖い。淡々とした死のモチーフもじわじわと恐怖をあおるのだけど、そういった精神的な怖さに加えて処刑のシーンのギロチンの音が生理的な痛みをも想起させるので、動物としての本能が感じる「原始的な恐怖」も大きい。

 ギロチンで首を斬られる場合、痛みを感じるのか否か。感じるのであれば、それはどんなものなのか。一緒に聴いていた妹と語り合ってしまったほどです。そしてますます気持ちが悪くなる。
 顎の骨を切るという手術をしたことのある妹は、麻酔から目覚める一瞬にとんでもない激痛を感じたそうで、その経験からギロチンの刃が首を切断する感覚を想像したそうな。

 感情だけでなく、生理的分野にまで影響をおよぼす音楽に出会ったのは初めてで、怖い怖いと言いながら自らズブズブと深みにはまる。

 私はヒロインと同じく尋常じゃない臆病者なんですが、その裏返しなのか、ホラーやバイオレンス系映画大好き。拷問や処刑というキーワードに反応してしまうので、はからずも大好物なジャンルの作品を手に取ってしまったようです。

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No.66~70 グラッシ, コロンバーラ, ベキ, グエルフィ, プライ ["闘牛士の歌" 聴き比べ]

聴き比べ企画 Chanson du Toréador -- 100人の「闘牛士の歌」 もくじはこちら

イタリアとドイツ。お国柄の違いは歌唱にもハッキリ表れる。

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No.66 ルカ・グラッシ (Luca Grassi) イタリア
原調/フランス語/2006年ライブ/
最近の人のが続きます。
グラッシは中島康晴と共演したフェニーチェの《真珠とり》がカッコ良かったので点を甘く(笑)
トレアドールとしてはまったくもって平均的な歌唱だけど、凛々しく歌ってくれているので文句はないです。


No.67 カルロ・コロンバーラ (Carlo Colombara ) イタリア
原調/フランス語/録音年不明
ちょっとお行儀のよい印象かな?
2番からはいきなり小芝居っぽい歌唱になるけど、それを除けば光沢のある美声で好ましい。
声が良いんだから普通に歌えばいいのに(ネタ歌唱と小芝居は似て非なるものです)。
今後も気にかけようと思わせられる歌い手ですね。


No.68 ジーノ・ベキ (Gino Bechi ) イタリア/1913 - 1993
原調/イタリア語/録音年不明 ⇒YouTube
昔と今のエスカミーリョのスタンダードは全く違う。それは承知しているし、昔の歌手には寛容な私ですけど…歌って欲しくなかったな、こんなふうには…。


No.69 ジャンジャコモ・グェルフィ (Giangiacomo Guelfi ) イタリア/1924 - 2012
原調/イタリア語/
バリトンだけど、そんじょそこらの“バスカミ”より重いぞ!強いぞ!この威厳は闘牛士を通り越して戦士。いや大軍勢を率いる武将だな。
'56年第1次イタリア歌劇団、'61年第3次イタリア歌劇団で来日。…のせいか、どうしてもイタオペを聴きたくなるけど。


preyport.jpgNo.70 へルマン・プライ (Hermann Prey ) ドイツ/1929 - 1998
原調/ドイツ語/録音年不明
Oh, nein! 独語!! でも演説ではなくちゃんと歌になるんだから、さすがはプライ!紳士だね。この人の独語歌唱ならけっこう許せる。
しかし軟弱さではマッサール②といい勝負。愛嬌、オモシロさでは断然プライさまに軍配が上がるが。

No.61~65 ディアス, マッサール②, マルコンデス, ダミアーニ, アルベルギーニ ["闘牛士の歌" 聴き比べ]

聴き比べ企画 Chanson du Toréador -- 100人の「闘牛士の歌」 もくじはこちら

「まとめ記事」を書くのも苦行です(笑)

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diazport.jpgNo.61 フスティーノ・ディアス (Justino Diaz) プエルトリコ /1940 -
原調/フランス語/1992年ライブ/
なんて大声で暑苦しい歌唱なんでしょう…・:*:・(*´∀`*)ウットリ・:*:・
同じく大声コンテストなグロソップを連想するけど、グロ様の数倍は色気があるし。ちょいワルおやじっぽい声音がいいのよね(好きな歌手は依怙贔屓)。



kii120424.jpgNo.62 ロベール・マッサール ②(Robert Massard) フランス/1925 -
原調/フランス語/1964年の録音/
(なんと! ご存命でいらっしゃいますか?)
①では大絶賛したとおり、大好きなエスカミーリョのはずなのに…並み居る“バスカミ”たちをさんざん体験した後に聴くと、びっくりするほどナヨナヨへろへろ…orz
こりゃ「100トレアドール」史上最弱かも。どうしましょ…orz
でもねでもね。背中に薔薇を背負っているかのようなエレガンスにおいては彼の右に出る者はいないと思うのっ(`・ω・´)シャキーン
ってゆーわけで、依怙贔屓ケッテイ。文句ある?


No.63 ダヴィド・マルコンデス (David Marcondes) ブラジル人のバリトン、らしい。詳細不明。
原調/フランス語/録音年不明
かなり荒削りな歌唱。低音が全く出ていないのは調子が悪かったのかしら?(ライブらしいから)


No.64 ダヴィデ・ダミアーニ (Davide Damiani) イタリア
原調/フランス語/2009年ライブ?/
すごい♯歌唱だな(良いことです)。普通にカッコいいですが、この気合の入り方はむしろ「うんばーろ」のレナートとか「うんちか」のドン・カルロで聴きたい。


No.65 シモーネ・アルベルギーニ (Simone Alberghini) イタリア/
原調/フランス語/2008年ライブ/
あまり強そうな声じゃないなぁ。肩に力が入りすぎているような…。ブッファ系の人だからしかたがないか。
でも何度か聴いているうちに、ウォーレンの泣きべそ系に似ているんじゃないかという気がしてきて好感度が上がった。

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